発明を規定することの限界と弊害

先使用権がXで話題になっています。要は、先使用権を得るには発明の技術思想を有していたか?ということで、実施だけでは不十分というものです。

ピタバスタチン事件が影響しています。

この問題は、今問題となっている除くクレームとも関係してきます。自分にはその思想が必要だから認めないとする先使用権と、相手にはその思想がないから、特許を認めるかということです。

だいたい、発明を法律で定義しているのは、日本とか韓国、台湾くらいです。立法時には、定義することの難しさを承知で、あえて規定したことを誇らしげに解説しているものもあります。

しかし、法によるあらゆる定義は危険、という考えが欧州にはあるようで、ドイツでさえ発明を規定していません。 

思想の違いに重きを置きすぎると、構成や行為は同じでも、何でも特許になってしまうことや、先使用権にさえ思想が必要ということになってしまいます。

私自身、AI、ビジネスモデルなとの保護の必要のなか、特許法の大改正が必要であり、この定義規定は削除すべきと考えています。

人の二倍働き、三倍努力する。

脳外科医の福島孝徳先生が亡くなられました。

謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

神の手とも、ラストサムライとも呼ばれた方です。

東大を出られ、アメリカに渡り名門デューク大学に移りました。

今の時代、ワークワイフバランスとかが叫ばれ、努力とか無理をすることが時代遅れのような風潮があります。

他の国は、それでもいいかもしれません。でも、国力の低下が著しい日本において、このままいったらどうなるかと思うと、情けないです。

我々のような凡人は、人の二倍ではなく、三倍、四倍努力してようやく、世界で戦えるのです。そして、誰よりも働かなければ、国が成り立っていかないと思うのです。

決してワーカーホリックになれというわけではありません。人を超えるには、人と同じことをしていては、無理だといいたのです。

 

特許制度の限界;インベンションでイノベーションを保護できるか?

現代のコトづくり社会では、イノベーションが必要とされる。モノの価値が重視されたモノづくり社会では、モノを保護する手段として特許制度があった。しかし、コトを保護する手段は正式な制度としてはなく、特許をこねくり回して保護を図っているのが実情である。

発明、つまり、インベンションと、イノベーションとは似て非なるもので、元BCGの内田さんが、今、イノベーションが必要であり、発明だけでは不十分で、行動変容を起こすことが求められていると話ていた。本質を捉えていますね。

iPodなども、それまでマニアでしか使えなかったガジェットをiTunesと組み合わせ、女子高生でも使えるようにしたことが大きいと思う。もちろん、業界、歌手と交渉して、一曲ごとに購入できるようにしたこともあります。要は、新規なビジネスモデルを構築し、定着させたということです。

元々、モノを保護する手段として発展した特許制度に、このやうなコトを保護するには限界があるといく、無理があります。その無理は、結局、わけわけらない用途や機能を規定した用途発明とか、PCを組み込んだだけのビジネスモデル特許が多数生まれ原因となっている。

PBPで、除くクレームを使ったら?

PBPは、モノ同一説ということで、製法には依らないと解釈されています。非実際的事情など、実験ができない審査官には証明しようがなく、不明確になることはないでしょう。

そして、多くの場合、製法に依らない広いクレームがほしいというより、モノのクレームがほしいというのが実情でしょう。

そこで、今はやりの除くクレームを使えば、例えば、前記製造方法以外で得られるモノを除く、とすれば、その目的は達成されるのではとおもいます。

その製造方法で得られたモノしか記載がないから、新たな事項を導入するわけでもない。

裏を返せば、当該製造方法で得られたモノに限るというもので、このようなことを認めたらと、南條さんの論文で見た覚えがあります。

除くクレーム;除くことの思想はなかったはず

今の特許庁の実務では、先願の必須成分であって、本件では任意成分に該当するものは、除いてしまえば、阻害要因になるのは理屈としては否定しようがない。

しかし、本件でも、任意成分を、許容してるのであって、特定の成分を除く思想がないかぎり、任意成分の量なり種類など、明細書に開示した範囲に絞って限定して差別化すべきです。

アメリカでは除くクレームは認めませんが、これには、二つ理由があるとおもいます。

一つ目は、発明者が自分の発明として認識していないから112条のwritten descriptionを満たさないこと;二つ目は、思想ではなく実態で考えることから、構成が重なるなら、他の要件を加えない限り、差別化できないことが挙げられます。

発明の定義を置いたがための弊害です。

 

初めて書籍を出版した。

久しぶりの投稿です。

実は、この間、転勤があったりして大阪に引っ越したりで、ばたばたしていてました。それ以上に、博士論文を書籍かするという話があり、それへの対応でブログを書く気になれなかったというのが本音です。特に、出版助成金の採択結果が遅れ、一時は自費出版も覚悟しました。

それでも、8月末には助成金が出ることが決まり、3回の校正を経て、先月末に出版の運びとなりました。

初めての出版であり、それは、自分の成果が世の中にでるということは、一方では評価の対象になるという恐怖と、他方ではやはり嬉しさがあります。学術書なので、1万円近くし、どこまで買ってくれる人がいるかは、全く未知数です。

いずれにせよ、しばらくは、この出版について、振り返って行きたいと思います。

どんな洋書をよむか?

kindleリーダーを買ってから洋書を読むようにしています。三回目の英語強化トレーニングです。

一回目は大学院のとき。英検準一級をとりました。二回目は、米国駐在のとき。TOEIC880まで持っていった。今回は、人生最後のトレーニングです。英語で知財の講義をしたいからです。

 

ところで、本の選びかたです。グーグルで検索したりして、ベストセラーを選んでいます。また、丸善でビジネス系の翻訳本が売られていたりすると、その原書を読んだりしています。翻訳されるくらいだから、それなりにあちらでも読まれているだろうと、思うからです。

 

500冊を目指していますが、まだまだです。